浦添ようどれ

浦添ようどれは、浦添グスクの崖下にある琉球王国初期の王陵。咸淳(かんじゅん)年間(1265-1274年)に英祖王が築いたといわれています。その後1620年に浦添出身の尚寧王が改修し、王自身もここに葬られたそうです。

「ようどれ」とは、琉球語の「夕凪」だそうで、その名の通り静かなたたずまいの王陵です。

尚寧王の墓室。1620年建立の極楽山の碑には尚寧王がようどれを改修したことや、尚寧が浦添家から首里国王に迎えられたという内容が記されているそうです。

浦添出身の尚寧王は首里の王陵「玉うどぅん」ではなく、この浦添ようどれに眠っています。

隣接する浦添グスク、ようどれ館には、ようどれの西室(栄祖王陵)が実物大で再現されていて見学でき、非常にありがたいです。
沖縄の石造彫刻は、16世紀には黄金時代を迎えていたようです。

琉球王一族の遺骨を納めた石棺。遺骨ののDNA解析から南中国系華僑の女性が琉球王家に嫁いだ可能性が指摘されているそうです。

これほど立派な石造彫刻は、本土にもなかなかないでしょう。特に16世紀には本土の仏教彫刻のピークも完全に過ぎているので、この石棺などは非常に貴重な遺品だと思います。

中国人が作ったものかと思えるほど繊細で精度の高い仕事です。

獅子も描かれています
石棺内部の遺骨まで再現されています

下の写真は13世紀に築かれた浦添グスクです。浦添グスクは14世紀には高麗系瓦ぶきの正殿を中心に、石積みの城壁で囲まれた大規模なグスクだったようです。

復元修理された浦添グスクの城壁

その周辺には王陵、寺院、大池、屋敷や集落があり、のちの王都、首里の原型が出来上がっていたといわれています。

この浦添グスク跡は沖縄戦当時「前田高地」と呼ばれた、日米両軍の激戦地でもあります。映画「ハクソー・リッジ」の舞台として知られ、関心を持つ人たちが国内外から訪れるそうです。

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